多度郡(たどぐん)は、香川県(讃岐国)にあった郡。
郡域
1878年(明治11年)に郡区町村編制法により(明治11年7月22日太政官布告第17号)行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
- 善通寺市(金蔵寺町、原田町、木徳町、与北町、櫛梨町を除く)
- 仲多度郡多度津町(島嶼部を除く)
歴史
古代
郷
葛原郷、三井郷、吉原郷、弘田郷、仲村郷、良田郷、生野郷から成る。各郷は以下の村々で構成された。
- 葛原郷 - 葛原(かずわら)、道福寺、南鴨、北鴨、堀江、新町
- 三井郷 - 三井(みい)、庄、青木(おおぎ)、多度津、東白方、西白方、奥白方
- 吉原郷 - 吉原、碑殿(ひどの)、山階(やましな)
- 弘田郷 - 弘田(全讃史に於いては、山階は弘田郷に属している。)
- 仲村郷 - 中村、善通寺
- 良田郷 - 上吉田、下吉田、稲木(いなぎ)
- 生野郷 - 生野(いかの)、大麻(おおさ)
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
近代
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(24村)
- 丸亀藩(9村) - 大麻村、生野村、善通寺村、上吉田村、稲木村、下吉田村、中村、弘田村、吉原村
- 多度津藩(15村) - 碑殿村、奥白方村、西白方村、東白方村、多度津村、新町村、堀江村、北鴨村、南鴨村、葛原村、道福寺村、三井村、山階村、青木村、庄村
- 1871年(明治4年)
- 2月5日 - 多度津藩が廃藩となり、領地が倉敷県の管轄となる。
- 8月29日 - 廃藩置県により、藩領が丸亀県の管轄となる。
- 10月5日 - 倉敷県の管轄地域が丸亀県に移管。
- 11月15日 - 第1次府県統合により香川県(第1次)の管轄となる。
- 1873年(明治6年)2月20日 - 名東県の管轄となる。
- 1875年(明治8年)9月5日 - 香川県(第2次)の管轄となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により愛媛県の管轄となる。
- 1878年(明治11年)12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、行政区画としての多度郡が発足。「仲多度郡役所」が那珂郡丸亀に設置され、那珂郡とともに管轄。
- 1879年(明治12年)2月 - 府県会規則による初の選挙が行われる。当時(旧愛媛県)の議員数は67名中、那珂郡6名、多度郡1名。
- 1882年(明治15年) - 麦稈真田を初めて製作。
- 1884年(明治17年)7月 - 善通寺村で火災。8月には弘田村、中村及び下吉田村で火災。
- 1885年(明治18年)1月15日 - 愛媛県布達により74役場(那珂郡50役場、多度郡24役場)が32役場(那珂郡23役場、多度郡9役場)となる。
- 1888年(明治21年)12月3日 - 香川県(第3次)の管轄となる。
- 1890年(明治23年)2月15日 - 町村制の香川県での施行により以下の町村が発足。(1町8村)
- 多度津町 ← 多度津村、新町村(現・仲多度郡多度津町)
- 豊原村 ← 南鴨村、北鴨村、堀江村、道福寺村、葛原村(現・仲多度郡多度津町)
- 白方村 ← 西白方村、東白方村、奥白方村(現・仲多度郡多度津町)
- 四箇村 ← 山階村、庄村、三井村、青木村(現・仲多度郡多度津町)
- 吉原村 ← 吉原村、碑殿村(現・善通寺市)
- 筆岡村 ← 中村、弘田村(現・善通寺市)
- 善通寺村(単独村制。(現・善通寺市)
- 麻野村 ← 大麻村、生野村(現・善通寺市)
- 吉田村 ← 上吉田村、下吉田村、稲木村(現・善通寺市)
- 1899年(明治32年)4月1日 - 郡制の施行により那珂郡・多度郡の区域をもって仲多度郡が発足。同日多度郡廃止。
出身有名人
- 錦部刀良
行政
- 愛媛県那珂・多度郡長
- 香川県那珂・多度郡長
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 37 香川県、角川書店、1985年10月1日。ISBN 4040013700。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 消滅した郡の一覧
- 中讃


