第2期順位戦(だい2き じゅんいせん)は、1948年度(1947年5月 - 1948年2月)に実施された順位戦である。順位戦は、将棋のタイトル戦の一つ「名人戦」の予選にあたる棋戦である。

第7期名人戦(だい7き めいじんせん)は、1948年度(1948年4月6日 - 1948年5月26日)に実施されたタイトル棋戦「名人戦」である。第7期名人のタイトルをかけ、「第6期名人」および第2期順位戦で選出された「挑戦者」により七番勝負で争われた。

ここでは「第2期順位戦」および「第7期名人戦」について、あわせて記述する。

第7期名人戦七番勝負

名人戦七番勝負は、塚田正夫名人が大山康晴八段を4勝2敗(1千日手)で下し、名人位を防衛した。

千:千日手

ルールの改定

  • A級は総当たりで先手、後手2局ずつ対局。
  • B級・C級は各12局で打ち切りとなった。
  • C級は東西の2組に分けて実施。全体成績の上位20名を第3期C級1組、下位を第3期C級2組に振り分け。ただし、3期までは成績によってはC級2組からB級への2階級昇進が可能であり、現在の仕組みとは異なる。
  • 順位は第1期に続き、持ち点制度により決定するが、クラスごとに加減算する得点は30点に改められた。
  • 名人挑戦者は、得点上位4名で挑戦者決定戦(パラマストーナメント)を行う。
    • B級で11勝1敗であった大山康晴は、得点順でA級で8勝6敗であった土居市太郎を上回ったため、挑戦者決定戦に進出することとなった。

第2期順位戦

名人挑戦者決定戦

B級1位の大山七段がトーナメントを勝ち上がり名人挑戦を決めた。順位戦の歴史で唯一B級からの挑戦者となった。

A級

名人挑戦者決定戦進出3名、降級1名

第1期の得点順により第1期B級1位の升田は、第2期では第1期A級7位の花田よりも上位に位置する。

  • 萩原-村上戦は1局未消化。

B級

昇級4名(うち名人挑戦者決定戦進出1名)

第1期の得点順により、第2期の順位が決まるため、第1期A級(八段戦)からの降級者は必ずしも第1期B級(六・七段戦)残留者よりも上位に位置するとは限らない。

C級

昇級9名、下位5名が第3期C級2組へ振り分けられた。

第1期の得点順により第2期の順位が決まるため、第1期B級(六・七段戦)からの降級者は必ずしも第1期C級(四・五段戦)残留者よりも上位に位置するとは限らない。

また、開始時の順位16位以上は六段昇段、順位17位以下32位以上は五段昇段者として、第2期を開始した。

C級東組

C級西組

参考資料

  • 『将棋評論 第1巻 第4号「棋士新段位」「新段位制生まる」』將棋研究會、1947年7月、1-2頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/11207042/1/2。  - 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 『将棋評論 第2巻 第1号「順位戰成績表」』將棋研究會、1948年1月、25頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/11207047/1/14。  - 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 菅谷北斗星『将棋五十年』時事通信社、1955年、164-168頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/2476486/1/100。  - 国立国会図書館デジタルコレクション
    • 山本武雄『将棋百年』時事通信社、1966年、129-133頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/2511434/85。  - 国立国会図書館デジタルコレクション
    • 山本武雄『将棋百年 改版増補版』時事通信社、1970年、129-133頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/12440491/1/86。  - 国立国会図書館デジタルコレクション

脚注

外部リンク

  • 名人戦・順位戦:日本将棋連盟

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第2回定期順位戦 結果 日本将棋連盟岐阜県支部連合会

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