デレク・ナサニエル・ベルDerek Nathaniel Bell, 1968年12月11日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州タンパ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。

経歴

プロ入りとブルージェイズ時代

1987年のMLBドラフト2巡目(全体49位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。1991年6月28日にメジャーデビュー。この年はAAA級シラキュース・チーフスで119試合に出場して打率.346・13本塁打・93打点・27盗塁の好成績を残し、インターナショナルリーグMVPとベースボール・アメリカマイナーリーグ年間最優秀選手賞に選出された。飛躍が期待された翌1992年はレギュラーに定着できなかったが、球団初の世界一メンバーの一員となった。

パドレス時代

1993年3月30日にダリン・ジャクソンとのトレードで、ストーニー・ブリッグスと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した。この年よりレギュラーとなり、初の二桁本塁打(21本)、1994年には初の打率3割(.311)をマークした。

アストロズ時代

1994年12月28日にケン・カミニティ、スティーブ・フィンリー、ロベルト・ペタジーニらとのトレードで、ダグ・ブロケイルら5選手と共にヒューストン・アストロズへ移籍した。移籍1年目は自己ベストとなる打率.334(ナショナルリーグ4位)の高打率を残すが、翌1996年は自己最多の113打点(リーグ4位)を記録しながらも打率は.263と急降下した。

1998年は打率.314・198安打(リーグ5位)・41二塁打・22本塁打・108打点と活躍したが、続く1999年は打率.236・12本塁打と好不調の波が大きかった。

メッツ時代

1999年12月23日にロジャー・セデーニョ、オクタビオ・ドーテル、カイル・ケッセルとのトレードで、マイク・ハンプトンと共にニューヨーク・メッツへ移籍した。

2000年、前半戦は12試合連続安打や球団新の11試合連続得点と好調だったが、後半戦は打率.187と沈黙した。オフの10月31日にFAとなった。

パイレーツ時代

2000年12月10日に2年900万ドルでピッツバーグ・パイレーツと契約。

2001年は開幕から絶不調、5月中旬に左ヒザ痛で故障者リスト入りするまで打率.136・1本塁打と不振を極めた。復帰後も不振を抜け出せず、7月3日を最後に出場は無く、この年限りで引退した。

人物

平凡なゴロでも全力疾走するハッスルプレイヤーだが、一方でかなりの目立ちたがり屋でもある。また、ブルージェイズ時代の1992年には本拠地スカイドーム(現:ロジャーズ・センター)で愛車のジープを同僚のジョー・カーターに運転されるというイタズラに遭っている。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録

MiLB
  • インターナショナルリーグ最優秀選手賞:1回(1991年)
  • ベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞選出:1回(1991年)

背番号

  • 14(1991年 - 1992年、1995年 - 1999年、2001年)
  • 4(1993年 - 1994年)
  • 16(2000年)

脚注

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 B

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

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