ヴィルヘルム・ドゥブラヴチッチ(Wilhelm Dubravčić, 1868年12月23日 - 1925年7月18日)は、オーストリア=ハンガリー帝国出身のヴァイオリニスト、指揮者、作曲家、音楽教師。1901年以降は日本で活動した。
経歴
フィウメ(現在のクロアチア領リエカ)に生まれる。1887年にウィーン楽友協会音楽院を卒業し、1890年から1892年までワルシャワ帝室劇場でヴァイオリニストを務めた。在オーストリア=ハンガリー帝国全権公使牧野伸顕の推薦により、エドワード・ハワード・ハウスの後任として、1901年5月に来日してから1925年に亡くなるまで宮内省式部職雇音楽教師となり、式部職雅楽部(1907年に楽部と改称)の管弦楽団の指導と指揮を担当した。ヴァイオリンの教え子に山井基清、波多野鑅次郎、多忠亮、高辻威長がいる。来日後もヴァイオリニストとして室内楽などの演奏会に出演し、ピアニストのヴィンセント、前田久八、ラファエル・フォン・ケーベル、マッキー、カテリーナ・トドロヴィチ、パウロスキー、歌手のロンゲーカーとアドルフォ・サルコリ(テノール)、ヴァイオリニストの多忠基とジョルジュ・ヴィニェッティ、チェリストのサリンガーらと共演している。腸癌のために入院先の東京帝国大学医学部附属医院にて死去。ドゥブラヴチッチの死後、後任として1927年にガエタノ・コメリが式部職楽部指揮者となった。
作品
- 戦勝行進曲
- 1904年11月12日、自身が指揮した明治音楽会第37回演奏会(東京キリスト教青年会会館)で発表。1905年2月11日、明治音楽会祝賀音楽会(青年会会館)で再演した。
脚注
参考文献
- 「ウェルヘム・ヅブラウチッチ ノ部」『欧州音楽教師雇入録2明治33 - 大正14年 (宮内公文書館識別番号 11564)』宮内省式部職、1925年。
- 三浦俊三郎『本邦洋楽変遷史』日東書院、1931年。https://books.google.co.jp/books?id=6iNf7e3w3xYC。
- 島田芳文 編纂 編『レコード音楽技芸家銘鑑』 昭和15年版、レコード世界社、1940年。NDLJP:1056525。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056525/168。
- 大日本音楽協会 編『音楽年鑑 昭和16年度』共益商社書店、1941年。NDLJP:1109457。
- 稲村徹元, 井門寛, 丸山信 共 編「大正一四年 グリエルモ・ヅブラウヰッチ」『大正過去帳 : 物故人名辞典』東京美術、1973年、322頁。
- 増井敬二『日本のオペラ : 明治から大正へ』民音音楽資料館、1984年。
- 中村理平『洋楽導入者の軌跡 : 日本近代洋楽史序説』刀水書房、1993年。ISBN 9784887081468。
- 武内博 編著「ドヴォラヴィッチ」『来日西洋人名事典』(増補改訂普及版)日外アソシエーツ、1995年、271頁。ISBN 978-4-8169-1277-1。
- 柴理子「『白系ロシア人』音楽家カテリーナ・トドロヴィチの日本滞在(1)―1910年代までの足跡」『中欧研究』第2号、城西大学中欧研究所、2016年11月、1-24頁、ISSN 2432-4000、2020年1月29日閲覧。




