小倉 良則(おぐら よしのり / りょうそく、1848年10月13日(嘉永元年9月17日)- 1920年(大正9年)10月9日)は、明治期の実業家、教育者、政治家。衆議院議員、千葉県会議長。
経歴
下総国埴生郡土室村(千葉県下埴生郡土室村、久住村土室を経て現成田市土室)で、小倉源之助の息子として生まれる。武本右京に師事し漢学を修め、中村一心斎に武術を学んだ。東京に遊学したが、郷里で地租改正の測量地図作成者がおらず、そのため帰郷して地図作成を担当。事業終了後に上京し、依田菫、今井芳洲に師事し漢学を修めた。
1882年(明治15年)に帰郷し1883年(明治16年)北総英漢義塾(現成田高等学校・付属中学校)を設けて郷土の子弟の教育を行った。1895年(明治28年)成田鉄道の設立に参画して社長に就任したが、不況により計画は中止となった。1896年(明治29年)成田銀行の創設に参画し頭取となる。
1883年(明治16年)3月、補欠選挙において自由党推薦で千葉県会議員に選出され、1892年(明治25年)3月まで在任し、この間、常置委員予備員、同副議長(1890年10月-1891年11月)、同議長(第8代1891年11月-1892年2月)を務めた。
1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、弥生倶楽部)で当選し、その後、第4回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
1903年(明治36年)朝鮮に渡り大邱府に住んで実業界で活躍した。
国政選挙歴
- 第1回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、1890年7月、自由党)落選
- 第2回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、1892年2月、弥生倶楽部)当選
- 第3回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、1894年3月、自由党)当選
- 第4回衆議院議員総選挙(千葉県第2区、1894年9月、自由党)当選
- 第7回衆議院議員総選挙(千葉全県区、1902年8月、立憲政友会)落選
親族
- 長男 小倉武之助(実業家、美術品収集家)
脚注
参考文献
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『千葉県議会史:議員名鑑』千葉県議会、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。




