ヴェ・イ・レーニン全集(ヴェ・イ・レーニンぜんしゅう、ロシア語: В.И. Ленин Полное собрание сочинений など)とは、ソビエト連邦で刊行されたウラジーミル・イリイチ・レーニンの著作・書簡・ノートを集めたロシア語の著作集である。ソビエト連邦共産党は建国の父であるレーニンの文書を重視し、著作集の編纂に力を注いだ。『レーニン全集』には全部で5つの版があり、いずれもソビエト連邦共産党中央委員会の付属研究所によって編纂された。日本語版の『レーニン全集』は、第4版から翻訳されたものである。
概要
第1版
- Русскиская Коммунистическая партия (большевиков) (ред.), «И. Ленин (В. Ульянов) Собрание сочинений», Изд. 1-е., В 20 т. (26 кн.). Государственное Издательство. Москва, 1920-26 г.г.
- Русскиская Коммунистическая партия (большевиков) (ред.), «В.И. Ленин Собрание сочинений», Изд. 1-е., В 20 т. (26 кн.). Государственное Издательство. Москва -Ленинград, 1924-1927 г.г.
『レーニン全集』第1版は、1920年のレーニン生誕50周年を記念して、同年に開かれたロシア共産党(ボリシェヴィキ)第9回党大会の決定に基づいて、同年から1926年にかけて「レーニンの著作集」として編纂された(1925年に全連邦共産党に改称)。1923年に共産党中央委員会付属レーニン研究所(初代所長:レフ・カメーネフ)が設立されると、同研究所が編纂の任に当たった。1924年からは改訂版が発行され、この序文はカメーネフが書いている。全20巻26冊からなり、このうち第7・11・12・14・18・20巻がそれぞれ2分冊となっている。約1500項目を収録し、各巻平均で13万部が発行された。各著作はおおむね年代順に収録されているが、第9巻『農業問題』や第19巻『民族問題』のようにテーマ別に収録されている巻もあり、加えて索引が存在しないなど、著作集として不備があると指摘される。
第2版および第3版
- Институт Ленина при Ц.К. В.К.П.(б.) (ред.), «В.И. Ленин Сочинений», Изд. 2-е., В 30 т. Государственное Издательство. Москва -Ленинград, 1925-32 г.г.
- Институт Ленина при Ц.К. В.К.П.(б.) (ред.), «В.И. Ленин Сочинений», Изд. 3-е., В 30 т. Государственное Издательство. Москва -Ленинград, 1925-32 г.г.
『レーニン全集』第2版は、レーニン死去後の、1924年の第2回ソビエト連邦ソビエト大会の決定に基づいて、1925年から1932年にかけて全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会付属レーニン主義研究所によって「レーニンの著作集」として編纂された。なお、同研究所は1931年にマルクス=エンゲルス研究所と合併して、マルクス=エンゲルス=レーニン研究所(初代所長:ウラジーミル・アドラツキー)となっており、第28巻以降この研究所名で発行されている。編集責任者には引き続きカメーネフが当たったが、彼の失脚により、第4巻からはニコライ・ブハーリン、ヴャチェスラフ・モロトフ、イワン・スクヴォルツォフ=ステパノフに代わり、さらにブハーリンの失脚によって第26巻からはアドラツキー、モトロフ、М.А.サヴェリエフに代わっている。
『レーニン全集』第3版は、第2版の普及・廉価版として並行して刊行された。内容は第2版と同じであるが、廉価版であるため一部の印刷などに難があるとされる。第2版および第3版は、全30巻からなり、第1~27巻が著作に加えて巻末付録にロシア共産党大会の決定事項やソビエト連邦の重要法令を収め、第28・29巻が書簡、第30巻が補巻となっている。その後、著作総目録、人名・件名索引などを収録した『便覧』が1935年に刊行された。このように、第2・3版は、索引、事項や人名の注、レーニンが引用・言及した文献についての詳しい解説やリストが存在し全体の3割に達するという、配慮の行き届いたものであった。約2700項目を収録し、各巻平均で第2版が10万部、第3版が56万部が発行された。しかし、個々の著作に脱落や原本との背反、配列などに問題があったほか、スターリン指導下の全連邦共産党(ボ)中央委員会によって「きわめて大きな政治的誤り」があると認定されるに至った。
また、第2・3版の刊行と同時に、『レーニンスキー・ズボールニク』(Ленинский Сборник) も刊行された。これは、レーニンの生涯と活動を明らかにするための資料を蒐集・刊行したもので、新発見の著作、手紙、電報などのほか、論文執筆のためのプラン、メモ、草稿、レーニンが読んだ本・雑誌・新聞などからのノート、演説の下書きといった著作集に収録しにくいものまでを集めている。
第4版および補巻
- Институт Маркса-Энгельса-Ленина при Ц.К. В.К.П.(б.) (ред.), «В.И. Ленин Сочинения», Изд. 4-е., В 47 т. Государственное Издательство политической литертуры. Москва, 1941-67 г.г.
- 『レーニン全集』全48巻(本巻45・別巻3、マルクス=レーニン主義研究所レーニン全集刊行委員会訳、大月書店、1953-69年)
- Lenin Collective Works, in 45 volumes (Progress Publishers, Moscow, 1960-70).
『レーニン全集』第4版は、1941年から1951年にかけて全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会付属マルクス=エンゲルス=レーニン研究所によって新たな「レーニンの著作集」として編纂された。当初は全35巻からなり、著作および書簡を年代順に収録した。その後(1952年にソビエト連邦共産党に改称)、同研究所は、1954年にマルクス=エンゲルス=レーニン=スターリン研究所となり、別巻となる『便覧』1~2がこの名義で発行される。2927項目を収録し、各巻平均で80万部が発行された。しかし、スターリン時代に編纂されたことから、さまざまな問題点が存在すると批判されている(詳しくは、#特徴および批判を参照のこと)。
その後、スターリン批判を受けて、1956年にマルクス=レーニン主義研究所となってから、1967年までに補巻として第36~45巻を発行する。内容は、第2版および第3版の巻末付録を削除した代わりに、レーニンの多くの新資料を収録した。最終的に全47巻からなり、第1~35巻が著作および書簡、別巻1~2が本巻の各種索引、補巻である第36~45巻が本巻に未収の著作・ノート・書簡となっており、いずれも国立政治図書出版所から刊行された。
この第4版に基づいて、日本語訳が1953年から1969年にかけて、大月書店版『レーニン全集』として刊行された(詳しくは、#日本語版を参照のこと)。また、英語訳も1960年から1970年にかけて、モスクワのプログレス出版所からLenin Collective Works として刊行された。
第5版
- Институт Марксизма-Ленинизма при Ц.К. К.П.С.С. (ред.), «В.И. Ленин Полное собрание сочинений», Изд. 5-е., В 57 т. Издательство политической литературы. Москва, 1958-65 г.г.
『レーニン全集』第5版は、1958年から1965年にかけてソビエト連邦共産党中央委員会付属マルクス=レーニン主義研究所によって「レーニンの完全な著作集(全集)」として編纂された。第4版の補巻の編纂と併行して、新たに発見された資料を収録する決定版として編纂が行われた。全57巻からなり、第1~45巻が著作・論文、第46~55巻が書簡、別巻1~2が各種索引となっており、いずれも国立政治図書出版所から刊行された。スターリン批判後に刊行されたため、第4版に見られた問題点は改善されているものの、第2・3版と比べてなお注解の質量に乏しく、収録されていない文献があるものと見られている。
日本語版
レーニンの著作の日本語訳は戦前から盛んにされていたが、警察権力による弾圧や検閲のなかで厳しい出版状況に晒された。それゆえ翻訳・紹介は不完全であり、伏字や削除によって内容が分からなくされているものも多かった(詳しくは、#日本語(戦前)を参照のこと)。敗戦後、レーニンの著作を体系的かつ伏字や削除のない状態で出版できるようになった。
こうしたなか、レーニン死後30周年記念事業の一つとして日本語版『レーニン全集』の刊行が決定され、ロシア語第4版(当初全35巻)に基づいて日本共産党の関連機関であるマルクス=レーニン主義研究所のレーニン全集刊行委員会によって翻訳が行われた。発行は『マルクス=エンゲルス選集』・『スターリン全集』などの刊行を行っていた大月書店が行った。発足当初の全集刊行委員会の顔ぶれは、飯田貫一・石堂清倫・川内唯彦・蔵原惟人・古在由重・平沢三郎・藤川覚・松本惣一郎・村田陽一・山辺健太郎であった。刊行は第1期:第1~12巻(1953~55年)、第2期:第13~24巻(1955~57年)、第3期:第25~35巻および別巻1~2(1957~60年)、第4期:第36~39巻および別巻3(1960~62年)、第5期:第40~45巻(1966~69年)と行われ、計16年をかけて完結した。第1~35巻には月報として「研究のしおり」が付されており、連載されていた中野重治のエッセイは、後に増補のうえ『レーニン素人の読み方』(筑摩書房、1973年)として刊行されている。全巻が函入り・上製(茶色のハードカバー)で出版されたが、当初は普及版も同時に刊行されており、第1~13巻(1953~55年)については並製・上下分冊のものが存在する。当時の広告によると、第1巻刊行時(1953年9月)の価格は上製版750円、並製版(上下)各280円で、全巻完結時(1969年10月)の価格は各巻2,000~2,500円、全巻揃い98,500円であった。
翻訳にあたっては、正確を期すために原訳、校閲、統一の三段階制をとり、翻訳者は上記の刊行委員会メンバーの他にも、秋山憲夫・浅野勉・石山正三・池田博行・内海周平・大谷隆雄・川上洸・副島種典・高橋勝之・東郷正延・直野敦・堀江邑一・山村房次・和久利誓一らのべ70名が関わった。1969年末までに計120万部を発行した。また、ロシア語第5版が決定版として刊行されたことから、レーニン全集刊行委員会編『レーニン全集5版と4版の対照表』が独自に別巻3として1968年に作られている。同巻は全巻購入特典として頒布されたほか、900円で単独販売もされた。『レーニン全集』の外国語訳としては世界初であり、多くの日本の大学図書館が所蔵している。
特徴および批判
『レーニン全集』各版の編纂は、ソビエト政権の時々の方針によってなされたため、それぞれの性格の違いが存在する。特に第2・3版がスターリン時代以前に編纂されていたものを含んでいたのに対して、第4版はスターリニズムに基づいて編纂され、特にスターリンに関係のあるレーニンの著作が多く収録された。具体的には、意図的に収録されなかったと思われる文献として、レーニンより年上の革命家のプレハーノフ、アクセリロード、スターリンによって粛清されたジノヴィエフ、カメーネフ、ブハーリンなどに宛てた手紙が挙げられる。その他、党政治局に宛てた手紙をスターリン宛にする、スターリンにとって都合の悪い部分の削除などが見られる。そのため、欧米の研究者は第4・5版刊行後も、それ以前に編纂されていて詳細な注解も付されている第2・3版を使ってきた。なお、日本では第2次世界大戦中に第2・3版やその他の文献が没収されて入手困難なため、第4・5版が用いられてきた。
スターリンの死後は、ソ連でも批判が行われた。スターリン批判が行われたソ連共産党第20回大会では、歴史学者のА.М.パンクラートヴァが、第4版では多くの論文・書簡が外されたこと、「完全なレーニン全集」を新たに編纂する必要があることを訴えている。その後、第5版の編纂が行われることになり、その成果にを取り入れて第4版の補巻(第36~45巻)が刊行された。例えば、このうち第4版第36巻には、レーニンが死の直前にスターリンを書記長から解任する提案を発言した「大会への手紙」が含まれるなど、スターリン批判を踏まえた編集が行われている。また、『レーニンスキー・ズボールニク』でも同様の影響が見られ、スターリン時代は刊行が滞り(1942年:第34巻、1946年:第35巻)、スターリン批判後の1959年から刊行が再開している。
ロシア史研究者の池田嘉郎によれば、ソ連時代においてレーニンに関わる文書は共産党およびソビエト政府の厳重な管理下に置かれ、自由な閲覧・利用ができなかった。他方で、公的な編纂物として『レーニン全集』のほか、『レーニンスキー・ズボールニク』、『レーニン活動年譜』、『ソヴィエト政権法令集』などに、レーニンの文書(余白への書き込みなども含む)24,000点以上が公表されてきた。しかし、1990年の時点で、書き込みを含むレーニン文書約3,700点および彼が署名した政治文書約3,000点が未公表であった。これらの中には、①国家機密や陰謀的性格を持つもの、②公定のイデオロギーの上で不適切と見做されたもの、③技術的に判読不能あるいは学術的に疑いがあるもの、④レーニンの手が入った政府刊行物のような印刷すると膨大になってしまうものなどが含まれているという。1991年のソ連崩壊後、これらの文書のうちの重要な部分が刊行されるようになっている。
構成
その他の主な選集・著作集
ロシア語
- Институт Маркса-Энгельса-Ленина при Ц.К. В.К.П.(б.), В.И. Ленин Избранные Произведения в шестой томах. Государственное Издательство. Ленинград, 1929-31 г.г.
- 全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会付属マルクス=エンゲルス=レーニン研究所による『ヴェ・イ・レーニン6巻選集』。『レーニン全集』第2・3版の編纂に併行して、アドラツキー、アレクサンドル・クリニツキー、ミハイル・ポクロフスキー、К.А.ポポフ、И.И.ポポフ、М.А.サヴェリエフ、Е.ヤロスラフスキーの共同編集による。ドイツ語訳として、W.I. Lenin Ausgewählte Werke in 12 Bänden が1932年に出版されている。
- Институт Маркса-Энгельса-Ленина при Ц.К. В.К.П.(б.), В.И. Ленин Избранные Произведения в двух томах. Государственное Издательство. Москва, 1940 г.
- 全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会付属マルクス=エンゲルス=レーニン研究所による『ヴェ・イ・レーニン2巻選集』。複数の版があるが、編纂された時期の関係からスターリニズムの色彩が濃い。1946年に発行された第4版には巻頭には、スターリンによるレーニン論8篇が収録されている。この第4版が社会書房版『レーニン二巻選集』および大月書店版『レーニン選集』の底本に当たる。
- Институт Марксизма-Ленинизма при Ц.К. К.П.С.С., В.И. Ленин Избранные Произведения. Изд. 1-е., В 3 т. Государственное издательство политической литературы. Москва, 1960-61 г.г.
- Институт Марксизма-Ленинизма при Ц.К. К.П.С.С., В.И. Ленин Избранные Произведения. Изд. 2-е., В 3 т. Издательство политической литературы. Москва, 1966-68 г.г.
- ソビエト連邦共産党中央委員会付属マルクス=レーニン主義研究所による3巻本の『ヴェ・イ・レーニン選集』。1960年から1961年にかけて刊行された初版と、1966年から1968年にかけて刊行された第2版があり、それぞれ国民文庫版『レーニン三巻選集』と大月書店版『新版 レーニン選集』の底本に当たる。
日本語(戦前)
- 『レーニン著作集』全10巻(レーニン著作集刊行会、1926-27年)
- 1926年から1927年にかけて刊行された、早い時期の著作集。第8~10巻に収められた2つの著作を除いて、レーニンの演説や論文など比較的短い文章を集めている。
- 白揚社版『レーニン全集』(1929-32年)ほか
- 戦前において、白揚社がレーニンの著作を最も多く出版した。主なシリーズとしては、①「レーニン叢書」(1927~28年刊行に10冊以上が刊行)、②「レーニン重要著作集」(1928~31年および1936~37年に30冊以上が刊行)、③『レーニン全集』(1929~33年に計5巻分のみが刊行)がある。しかし、共産主義思想が非合法とされた時代であったため、警察権力による弾圧や検閲のなかで厳しい出版状況に晒された。戦後になって、『レーニン重要著作集』の一部は1946年から1947年にかけて再刊されている。
- 希望閣版『レーニン選集』全5冊(產業勞働調査所・プロレタリア科學硏究所訳、1931-32年)
- 戦前において、白揚社と並んでレーニンの著作を多く出版したのが、日本共産党の事実上の合法出版部門であった希望閣である。主なシリーズとして①「マルクス主義文庫」シリーズ(1928~30年に10冊以上が刊行)、②「レーニン小文庫」シリーズ(1931~32年に刊行)、③『レーニン選集』全6巻分予定などがある。このうち、『レーニン選集』はマルクス=エンゲルス=レーニン研究所によるロシア語版『レーニン6巻選集』の日本語訳で、共産党の影響下にあった産業労働調査所とプロレタリア科学研究所が翻訳を行った。しかし、共産主義思想が非合法とされた時代であったため、警察権力による厳しい弾圧と検閲のなかで出版は困難を極めた。そのため全6巻分の刊行には至らず、1931年から1932年のあいだに第1巻の第1~3分冊および第2巻の第1~2分冊のみが刊行されるに留まった。また、本文も伏字の箇所が少なくない。
- 第1巻 1894-1904(人民の友とは何ぞや、何を爲すべきか、貧農に與ふ、ロシア社會民主黨の農業綱領、一歩前進二歩退却 など)
- 第2巻 1905-1914(民主々義革命における社會民主黨の二つの戰術 など)
日本語(戦後)
- 社会書房版『レーニン二巻選集』全15分冊(レーニン二巻選集刊行会編訳、社会書房、1951-53年)
- 1951年から1953年にかけて社会書房から刊行された戦後最初の本格的な選集。戦前のような伏字や削除なしに、日本で初めてまとまった形で出版された選集である。マルクス=エンゲルス=レーニン研究所の『ヴェ・イ・レーニン2巻選集』第4版の構成に基づき、全集第4版から訳出した。さらに『ヴェ・イ・レーニン6巻選集』から注の一部を採用するなど、1930~40年代の各種『レーニン選集』の成果に基づいて編集・翻訳された。レーニンの著作をテーマ別・年代順に収録する。全巻並製で出版され、第一巻6分冊、第二巻7分冊、全集第4版の付録から独自に作った年譜を収めた補巻1冊、独自に編集された索引を収めた別冊1冊の計15冊からなる。また、各巻の付録として月報が付されている。
- 大月書店版『レーニン選集』
- 大月書店版『レーニン全集』の翻訳・刊行に併行して、その普及版として各種の選集が同社から刊行された。①『レーニン選集』全12冊は、マルクス=エンゲルス=レーニン研究所の『ヴェ・イ・レーニン2巻選集』第4版の構成に基づきつつも、ソ連と日本のマルクス=レーニン主義研究所の協議よって文献の加除を行ったうえで、全集第4版から訳出したもの。社会書房版に収録されていたスターリンによるレーニン論8篇はすべて除かれており、スターリン批判を踏まえた編集方針が取られている。全巻並製で出版され、各巻6分冊の計12分冊からなる。また、各巻の付録として「レーニン選集月報」(I~XII)が付されている。③『レーニン三巻選集』は、マルクス=レーニン主義研究所の3巻本の『ヴェ・イ・レーニン選集』第1版の構成に基づき、全集第4版から訳出したもの。全巻文庫版で出版され、各巻3分冊の計9分冊からなる。「解説」は付されていない。④『新版 レーニン選集』は、マルクス=レーニン主義研究所の3巻本の『ヴェ・イ・レーニン選集』第2版の構成に基づき、全集第4版から訳出したもの。全巻並製で出版され、各巻2分冊の計6巻からなる。この他、同社の国民文庫にも「レーニン全集刊行委員会」の名義でいくつかのレーニンの著作が収録されている。
- 『レーニン選集』全12冊(ソ同盟共産党マルクス=レーニン主義研究所編、マルクス=レーニン主義研究所レーニン全集刊行委員会訳、1957-58年)
- 『問題別レーニン選集』全3巻6分冊(ソ連邦共産党中央委員会付属マルクス=レーニン主義研究所編、レーニン全集刊行委員会訳、国民文庫131-133、1960年)
- 『レーニン三巻選集』全3巻9分冊(ソ連邦マルクス=レーニン主義研究所編、レーニン全集刊行委員会訳、国民文庫134、1961-65年)
- 『新版 レーニン選集』全6巻(ソ連邦共産党中央委員会付属マルクス=レーニン主義研究所編、レーニン全集刊行委員会訳、1968-70年)
- プログレス出版所版『レーニン選集』
- ソ連のプログレス出版所による日本語版選集。1960年代末のものと1980年代初めのものがある。
- 『レーニン選集』全4冊(プログレス出版所発行、ナウカ発売、1968-69年)
- 『レーニン選集』全12巻(プログレス出版所訳・発行、駿台社発売、1980-81年)
- 『レーニン10巻選集』全12巻(本巻10・別巻2、日本共産党中央委員会レーニン選集編集委員会編訳、大月書店、1969-72年)
- 1969年から1972年にかけて「レーニン生誕100周年記念」として、日本共産党によって製作された。「マルクス・レーニン主義の基本的諸命題を、現代の複雑な諸条件や、わが国の特殊性に応じて具体的に適用し発展させる創造性と、マルクス・レーニン主義の原則を厳密に擁護する原則性とを正しく統一するという基本的観点に立って(中略)自主的に編集した」ものである。同時に、党員向けの学習用文献としての性格も有している。全巻函入り・上製で出版され、レーニンの著作をおおむね年代別に収録した第1~10巻、『ロシアにおける資本主義の発展』を収録した別巻1および、『唯物論と経験批判論』を収録した別巻2の計12巻よりなる。『ロシアにおける資本主義の発展』と『唯物論と経験批判論』は、大部ゆえに各種のレーニン選集にこれまであまり収録されてこなかった著作であり、それゆえ、日本語版の『レーニン選集』としてはもっとも網羅的な内容を持つ。翻訳はロシア語第4版および第5版に基づいて行われた。また、各巻の付録として「レーニン10巻選集のしおり」(No.1~12)が付されている。戦後日本でもっとも普及した『レーニン選集』の一つであり、100以上の大学図書館が所蔵している。
脚注・参考文献
注釈
出典
参考文献
- 倉持俊一「レーニン:生涯と著作(史料文献紹介)」『歴史学研究』第391号、績文堂出版、1972年12月、66-71頁、CRID 1520572359387270272、ISSN 03869237、NAID 40003815044。
- ソ同盟共産党(ボ)中央委員会付属マルクス=エンゲルス=レーニン研究所「第四版の序文」(大月書店版『レーニン全集』第1巻、1953年)
- 中野重治「日本訳『レーニン全集』について(1)」(『展望』188号、1978年8月、のち『定本版 中野重治全集』第20巻、筑摩書房、1997年)
- 柳春生「レーニン生誕百年記念出版に寄せて」「[06_7] 図書館情報 : 九州大学附属図書館月報 : 6(7)」『図書館情報』第6巻、第7号、九州大学附属図書館、37-39頁、1970年7月。CRID 1390009224839074816。doi:10.15017/18249。hdl:2324/18249。ISSN 0454-8213。https://doi.org/10.15017/18249。
- レーニン全集刊行委員会編『レーニン全集5版と4版の対照表』(大月書店、1968年)
- 「レーニン全集日本語版の完結を祝って」(駐日ソ連大使館広報部『今日のソ連邦』1970年4月、7・8合併号)
外部リンク
- レーニン全集 第5版(ロシア語版)
- レーニン全集 第4版(英語版)
関連項目
- ウラジーミル・レーニン
- マルクス・レーニン主義
- マルクス・レーニン主義研究所
- ソビエト連邦共産党中央委員会付属マルクス・レーニン主義研究所
- Marx-Engels-Werke(マルクス=エンゲルス著作集、日本語訳『マルクス=エンゲルス全集』の翻訳底本)




